Yeha Noha

Wishes of Happiness and Prosperity in Melbourne

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欧米と日本のアートの相違考察 ① 




先日、年一度のメルボルン ホワイトナイトに参加して激混みの中なんとか見る事のできたアートを写真に撮り、フェイスブックに投稿した。私自身もそうだが、やはり日本とは感性や感覚が違うと思う方が結構いた。基本、欧米と日本とでは「アート」のコンセプトが異なっていて、日本のような美しさのあるものがアートという考え方だと、現代欧米アートは、正直全く理解できないし、中にはあまりにも衝撃的過ぎて吐き気をもよおすものさえある。現代アート、特に欧米での現代アートは、「政治的、社会的問題を視聴者に問いかけ考えさせるもの」、「普段美しいと思っているものを根本的に覆して、真実を突きつけて衝撃を与えるもの」、「頭の中を無の状態にして感覚だけを喚起させて想像させるもの」、大体この3点を頭に入れておけばこちらでの現代アートをそれなりに面白く楽しく?鑑賞することができると思う。

今回のホワイトナイトで、一点またなんとも言えない気持ちになったアートがあった。皆さんはどう感じるかわからないけど、この手のものは、オーストラリアの現代アート展に行くと出くわすことが多い。



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この3Dの映像。静かな教会でこんなプロジェクションが音もなくテーブルの上に映し出されている。コップのコースターよりもひと回り小さいくらいの大きさで、肉眼だと2D、片目を閉じるかカメラで撮影すると3Dになるという仕組み。こういったアナモルフィックの技術自体がアートということにもなるのだが、この映像をじっと観ていると不思議な気持ちがこみ上げてくる。このアートの説明では、「過去の思い出と現在を繋ぐ」とか「別の現実を思い描くきっかけ」などと書かれている。

普通、楽しい場面や幸せな場面にいる当事者達には、笑いがあり言葉があり音楽があったり、必ず「サウンド」が存在する。しかし、そのサウンドを全て消し去って、第三者的にその様子だけを無音声で観ると、とても不思議な感覚を覚える。ましてや、今回のように小さい円の中という限られた枠で楽しそうに行動する人々を見下ろすと、人間生活の儚さ、人の命の儚さ、楽しく幸せな時間の儚さを突きつけられて人間がいかに宇宙全体から見たらちっぽけで塵のような存在なのかと悲しくなるのである。何故、このような気持ちになるのだろう。これはあくまで私の個人的見解だが、生まれる前に魂がどこか遠いところから人間のこういった生活を眺めていたことがあり、自分もあの儚い時空の中に入っていき泣いたり笑ったりと、恐怖と興奮を交えた感覚があったことを思い出させるのではないか。つまり、この手の映像は、生まれる前の過去の魂を呼び起こして今肉体を持って人間として存在する自分とコネクトさせるのではないか。うちの旦那などは「意味わかんねー」で終わってしまうのだけどね。

こんな風に普段は感じる事のない感覚を覚えたり、考えさせられたり・・・これが欧米のアート。



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フリーダム/無秩序の中の美 


最近、写んぽに出かけて私の目をよく惹くのが、規則性なく無秩序に咲いている花や、野放し状態で雑草も花も一緒にそれぞれの違う方向を向いている場所。私の中で、美しい花をそのまま撮るのは面白くないというのがいつもあるのだが、それ以外にもやはり沢山のフリーダムがあり、多文化国家でイマイチ秩序に欠けるオーストラリアに住んでいるから、そんなところに目がいくのかもしれない。


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オーストラリア、特にメルボルンは多種多様の人種が生活していて、場所によっては英語が聞こえてくるところが少ないところもある。同郷の友達とは母国語で話し、そうでない人たちとはお国訛りの英語で話すというのが基本。文化背景もそれぞれ異なるから、日本だけの「常識」を物差しにして対応しようとしたら、ついていけない。疲れる。私も、かなり長年オーストラリアに住んでいるが、未だに文化ストレスを感じてどっと疲れることがある。別に中傷する訳ではないが、(大陸の)中国人には秩序なんてものはない。驚くほどに自分本位で、マナーや秩序などという考え方が存在しない。そういう中にも美徳はあるのかと日本人的な尺度で考えてしまうが、わからない。

自然を見る限り、秩序なく雑草やら花が咲いている姿はあちこちにあって、恐らく殆どの人は見過ごしてしまうか、あるいは綺麗だと思わないだろう。ところが、よく見ればそこには「自由」という生き生きした美の姿が存在する。光が当たればその美しさは増す。多分、そこには社会が存在しないから美しく輝くことができるのだろう。人間は、知恵と感情を備えていて、そこに「お金」という価値が加わる。そうなると社会が形成されて、秩序がどうしても必要になり、植物のようにただ存在する、という事は不可能になってくるのだろう。でも、どちらも置かれている環境で幸せであればそれで良いんだな、きっと。



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今後の緊張 



先週、超音波の結果を持って病院に行った旦那が帰ってくるなり、「腎臓癌の可能性があると言われた」と言って泣き出した。専門医に診てもらうまではわからないから、と宥めて緊張の日々を送り月曜日、火曜日と専門医のところに行った。やはり、ほぼ癌に間違いないとの診断。現段階では、どの程度のものか判断ができないため、近いうち摘出手術をして実際にどの程度のものか調べることになっている。話によると、腎臓癌は抗がん剤で治療するものではなく、摘出手術のみで治療になるのだそうだ。一度摘出してしまえば、転移の可能性はほぼ無いと言われている。手術は、脇腹に小さな穴を開けてそこに小さなロボットのような機械を挿入して、技術あるドクターがそれを操縦して癌の塊と腎臓の一部を切り取り摘出する。かなり高度な技術を要するらしい。手術後は、5日から7日入院して、その後6週間で回復するとのこと。その間はもちろん絶対安静が必要となる。

先ほど述べたように、この手術に成功すれば転移の可能性はほぼ無い。でもここが難しいところで、「全くない」ではないのだ。私の母は乳癌で亡くなったのだが、発見されてすぐ左胸の摘出手術を行い、その後抗がん剤、放射線、ホルモン治療と行って全てが完了して全身のスキャンをかけて、転移してないことを確認した。ところが、それから1年半ぐらいして、食物が喉に通らず、呼吸ができなくなり再検査を行ったところ、肺に乳癌が転移していると診断され、余命2年程度と告知された。しかし、母はそれから半年ほどで他界した。そんな母を側で見ていたので、今心の中で緊張感とあの時の悲しみが一気にこみ上げてくる。母が癌だと最初に告知された時、私は非常に楽観的で、「大丈夫、大丈夫。ポジティブな気持ちで立ち向かえば希望通りの82歳まで生きられるって!」と、死ぬなどとは全く思っていなかった。ましてや、あの鉄の女と言っても良いほど強かった母なので、そんなことは絶対ないと信じきっていた。だから、亡くなった時は信じられず、受け入れる事ができず最初は涙が出なかった。

昨日、知人に旦那の事を話したら、「癌治療して現在元気に生きている人もいるし、亡くなってしまう人もいる。違いは何かと考えると、本人の気持ちと態度だと思うんだよね。考えてみると、いつも笑顔で幸せいっぱいにポジティブな人は皆んな今も生き生きと生きている。でも、なんで自分がこんな目にと、落ち込んだり、人にあたってばかりだった人たちは、皆んな癌に勝てずに亡くなってるよ。だから、本人が治療後もポジティブな気持ちでいないと。」と言われた。確かにその通りだと思う。全ての病は気から。笑や穏やかな気持ちが命を救うのだと私も思っている。だから、旦那には笑顔でゆるポッチで頑張って欲しい。私も泣いていられない。明るくポジティブな気持ちで。。。




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カフェでの一人遊び② 




本日は市街にあるDukes Coffeeというカフェにまた一人で行ってきた。ここは、美味しいコーヒーを頂くカフェなので、ランチメニューはなく、小さなお菓子とダニッシュ、クロワッサン程度。コーヒーは、いつも通りスキニー・ラテをテイクアウェイで注文した。評判どおり美味い!中もさほど大きくないので、外のベンチに座ったり壁に寄っ掛かりながら美味しいラテを味わい、いつものようにキョロキョロ。で、見つけたのがこのカフェの看板。なんか可愛い〜。



まずは、近くから



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ちょっとだけ離れて



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もうちょっと離れて



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ハハハ、撮ってる時は、ラテは道端だの、ベンチに置き去り状態。でも最後まで飲みましたよ。美味しいから残すなんてもったいないもん。



カフェでの一人遊び 




一人でカフェに行くと、待っている間いつも被写体を探してキョロキョロしてしまう。今回は大きな窓に面したカウンター席に案内されて、お店の中の眺めはあまりよくなかったので、その大きなガラス張りの窓から外を眺めていた。目に止まったのがこちらの椅子達。



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レトロなはっきりしない色がなんとも味わいあって、どの角度からだと3つの色のバランスがよく撮れるだろうと、椅子に座った状態でクネクネ体を動かしながら撮っていた。

そしたら、足も一緒に撮れてしまい、



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それ以降は、椅子ではなく足撮りが中心になってしまった。どの位置に足がきたら椅子とのバランスがよいだろう、とか、一人より二人の方が良い?とか、やっぱりスカートよりパンツだよなぁ〜、とか、長い男の足が最高!とか。。。



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一人でカフェに行くと、こういうアホなことばかりしている。




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