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Yeha Noha

Wishes of Happiness and Prosperity in Melbourne

カフェでの一人遊び② 




本日は市街にあるDukes Coffeeというカフェにまた一人で行ってきた。ここは、美味しいコーヒーを頂くカフェなので、ランチメニューはなく、小さなお菓子とダニッシュ、クロワッサン程度。コーヒーは、いつも通りスキニー・ラテをテイクアウェイで注文した。評判どおり美味い!中もさほど大きくないので、外のベンチに座ったり壁に寄っ掛かりながら美味しいラテを味わい、いつものようにキョロキョロ。で、見つけたのがこのカフェの看板。なんか可愛い〜。



まずは、近くから



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ちょっとだけ離れて



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もうちょっと離れて



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ハハハ、撮ってる時は、ラテは道端だの、ベンチに置き去り状態。でも最後まで飲みましたよ。美味しいから残すなんてもったいないもん。



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カフェでの一人遊び 




一人でカフェに行くと、待っている間いつも被写体を探してキョロキョロしてしまう。今回は大きな窓に面したカウンター席に案内されて、お店の中の眺めはあまりよくなかったので、その大きなガラス張りの窓から外を眺めていた。目に止まったのがこちらの椅子達。



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レトロなはっきりしない色がなんとも味わいあって、どの角度からだと3つの色のバランスがよく撮れるだろうと、椅子に座った状態でクネクネ体を動かしながら撮っていた。

そしたら、足も一緒に撮れてしまい、



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それ以降は、椅子ではなく足撮りが中心になってしまった。どの位置に足がきたら椅子とのバランスがよいだろう、とか、一人より二人の方が良い?とか、やっぱりスカートよりパンツだよなぁ〜、とか、長い男の足が最高!とか。。。



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一人でカフェに行くと、こういうアホなことばかりしている。




私と写真の関係 


私の言葉の表現力の乏しさは天下一品で、ある意味致命傷。もっと上手に言葉で表現できたら、私の人生大分違っていただろうといつも思う。小さい子供の頃から無口で、話し下手、自分の言いたい事をうまくまとめて言葉にすることができず、言いたい事の30%ぐらいしか言えなくてもどかしい思いをしてきた。

3歳ぐらいの頃は、同年代の女の子達は既におしゃまに色々な事を話しだしているのに、私は何一つ言葉を発する事がなかった。ある時、私より体の小さい女の子が私に向かって何か言ってきたけど答えられずにいたら、「この子バカ」と言われて思いっきりその子を押すと、その女の子は倒れて泣き出してしまい、私がこっぴどく叱られた。

小学校に入学してからも、あまり話すのが得意でなかったから、沢山の女の子達とわいわいがやがやする事はなく、話しかけてきてくれる優しい友達が1人か2人、その子達の話しを聞き、放課後は、男の子たちと一緒に木登りして、昆虫採集したりトカゲを捕まえる方が楽しかった。


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そして小学校5年生ぐらいから、私はクラスの女の子達のいじめの対象になり、それは中学を卒業するまで続いた。理由の一つは、私は話しをしても全然面白くない、という事だった。もちろん、他にも理由はあったのだけど。

家でも、母と妹はうるさいくらいによく喋っていて、私はいつもそれを横で聞いているだけだった。母からも「あんたと話しても反応ないから全然面白くない。」とよく言われていた。そんな私が話せるようになろうと頑張り出したのは短大の時で、それはもちろん、男の子とデートした時に、ちゃんと会話が続くようになりたかったから。話し上手な女の子の近くに座って、どういう感じで話しを進めたり、反応するのかいつも観察するようになり、自分も真似してやり始めたら少しずつ会話ができるようになっていった。

オーストラリアに来て、今度は自分の意見、主張をはっきり言う事を学ばなければならなくなった。特に学校に通っていた時は、自分の作品をどんどんアピールしていかなければならなかったのだけど、それが全然できなくて先生から何度か呼び出された事もあった。

書く方もこれまた悲惨。論文という物が書けない。論文を書こうとしても詩か小説になってしまう。高校の論文の授業でも、「散文詩ではないからね。」と突き返されて、私一人だけやり直しになったことがあった。今でも、書くのは苦手で、こういったブログも普通の人が費やす時間の3倍はかかっていると思う。

私にとって写真/カメラは、言葉では表現しきれない真の部分を表現してくれる道具、いやいや、道具ではなく、親友、恋人、私の心の一部。そして優しい心のセラピストでもある。大事にしていこう。


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写真を観て感動して表現して・・・ 



ビジュアル・マーチャンダイジング(VM)* の勉強をしていた時、最初の頃よく出された課題に「ネット上から、好きなショーウインドウ・ディスプレイを10点以上選んで、何故好きなのかをA4の用紙に半分以上書いてきなさい。」というのがあった。簡単そうに聞こえるが、非常に難しい。もちろん私がまずやった事はフォントを大きくすること(笑)。いざ取り掛かってみたものの1行あるいはせいぜい2行しか書けない。悩んだ挙句、構図と色に注目して事細かく分析して丁寧に書き、最後にお客様へのインパクト、みたいな感じでなんとかA4半分くらいまで埋めて提出していた。

この練習をしていると、まず自分がどういう色合いとどういうスタイルが好きなのかが見えて来る。そして、そのディスプレイのツボみたいなものが見えてくる。VMという仕事は、商品を見せられて5分から30分という限られた時間でディスプレイを作らなければならない時が結構あるので、この練習は大いに役立つのである。


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そして今、これが私の写真撮影にも役立っており、被写体を前にした時に、自分がどの部分が好きでどの部分を強調したいか大雑把ではあるけれど感じとることができる。

現在は、幾つかの写真グループに所属して毎日のように他の方の写真を見て感動し、時には琴線に触れて涙が出てきてしまったり、深層心理をつくような落ち着かない気持ちになったり、空想の世界が広がり出したり。。。基本的に何かいつもとは違う感覚を覚えたり、ハッと気づく事があるとこの練習を思い出してコメントを残すよう心がけてはいるのだが、私の乏しい語彙力で胸の中にある感動の渦を表現しきれない時も多々ある。日本語で褒める表現と言えば、綺麗です、美しいです、素敵です、素晴らしいです。あとは、柔らかい、優しい、可愛いといったところだろうか。できるだけ、それ以上の言葉で自分が感じていることを表現して、撮影者側にもどの部分に感動しているか伝えたいと思うのだけど、うまく言えないことが多い。面倒臭がり屋でコメント作業を省く日が続く時もあるが、稚拙な日本語でもこれをやっていると、新たな自分の好み、今までとは違う被写体の見方を学ぶ事ができるから、できるだけやるよう心がけたい。

一、二行でピタッと的を得たコメントをしてる方を見ると羨ましく思う。


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ところで、上の写真に写っている赤ピンクの花が、下の写真の背景の赤。雰囲気違うでしょ〜。

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ビジュアル・マーチャンダイジング(VM): 
ストア・コンセプトや売場の統一コンセプトに基づき、品揃えやウインドウ/店舗デザイン、プロモーション、陳列方法などを連動させることによって、商品の特徴を視覚的に演出していくマーチャンダイジングの手法

ジョージア・オキーフへの想い 



アートチャレンジの2日目は、ジョージア・オキーフを想い撮影した写真。

1枚目
2枚目
3枚目
4枚目

ジョージア・オキーフは私の一番好きな画家ではないですが、女性画家であり、ポートレートではなく風景、花を含む静物、建物を描くことから、共感できる部分が沢山あり、私の写真も多少の影響を受けていると言えます。ジョージア・オキーフの絵画に初めて出会ったのは、確かキャンベラの美術館。生々しい花の絵を見たとき、「え、これって花だよね?ちょっと官能的過ぎじゃない?」と、じぃぃ〜っと15分ぐらい観続け、全部見てからまた戻ってきてじぃぃ〜っと観てしまいました。今より少し若かった私にはかなり衝撃的で、この時以来、ジョージア・オキーフの花の絵が頭から離れなくなってしまったのです。


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以降、本屋さんで彼女の絵画集を手に取り見る事が増え、次に出会ったのがニューヨークのホイットニー美術館。ここでもまた別の衝撃的な花の絵が飾られていました(笑)。(まあ、この時の展示テーマが「性」だったので、仕方ないといえば仕方ないのですが、)どうも、ジョージア・オキーフというと、その類の花の絵ばかりがクローズアップされてしまい、そういう絵ばかりを描いているのかと思われがちなのですが、違います!!あの手の花の絵はほんの少しだけで、彼女独特の色使いと力強いラインに女性らしい優しさが加わった素晴らしい作品が沢山あります。ジョージア・オキーフを知ってから、彼女が晩年過ごしたニューメキシコ州アビキューを訪ねたいと思うようになり、2010年6月、その夢が叶う事になりました。アリゾナ州フェニックスに在住する私の20年以上の大親友とグランドキャニオンをぜいぜい息しながらハイキングした後、アリゾナ→ユタ→コロラド→ニューメキシコと車で旅し、最後にサンタ・フェの街を楽しみました。サンタ・フェにはジョージア・オキーフ美術館があります。もちろん、乗り気でない旦那達を抑えて行ってきました。「素晴らしい!!!」の一言です。彼女のニューメキシコやアリゾナ周辺の風景をモチーフにした抽象画はとてもシンプルで、自然とのコネクションを表現しており、どこかアメリカインディアンの文化を感じさせます。


(夕暮れのサンタ・フェ)

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途中、友人夫婦とお別れして、そこから旦那と二人アビキューを含むサンタ・フェ周辺の小さな町を訪ねました。ジョージア・オキーフが実際に住んでいたお家も訪ねて、彼女の写真を見ながら胸に手を当てて彼女のアートと自然に対する情熱をしっかり感じ取ってきました。


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いつも通り余談ですが、一緒にジョージア・オキーフ美術館に行った親友から昨日メールがあり、その中で彼女も花の写真を撮る時、ジョージア・オキーフの絵が頭の片隅にある、と言っていました。友人の場合は特に、アリゾナの似たような景色のところにいるのも影響しているかもしれませんが、それにしても、オキーフの絵には何か心に残るパワーがあるんでしょうね。

参照:Georgia O'Keeffe Museum